岡山城
岡山城は岡山ICから、自動車で東へ20分(8km)の所にあります。
詳しくは岡山城のホームページをごらんください。
岡山城は、織田信長の築いた安土城にならって築城されたと伝えられています。
背後に旭川と後楽園を構えた、我が国有数の名城です。
その黒い色から「烏城(うじょう)」とも呼ばれます。
この城は北に大きく突き出た、不等辺五角形という全国でも類をみない珍しい形をしています。
築城当時の岡山城は今と異なり、西へ300mほど移動した放送局や市民会館の立ち並ぶ場所にありました。
今の岡山城の位置に移転して築城したのは、宇喜多直家の実子、宇喜多秀家です。
宇喜多秀家は若くして豊臣秀吉の養子となり、秀吉の「秀」をもらって「秀家」と名乗りました。
その後異例の出世をはたし、旧領の備前と美作に加えて備中の一部を領地として与えられ、57万4千石の大大名となりました。
これに伴い、旧来の城では小さすぎてふさわしくないと、新しく今の場所へ大きく立派な岡山城を築城することになったのです。
築城にあたっては、途中、朝鮮半島への出兵を命じられ、総大将を務めることになり築城は一旦休止となります。
朝鮮半島から帰国すると再び築城に取りかかりますが、完成した時にはすでに8年の歳月が過ぎていました。
残念な事に、本来の岡山城は第二次世界大戦の空襲により、焼失してしまいました。
現在残っている岡山城は、戦後市民の熱意により再建された、鉄筋コンクリート製の岡山城です。
しかし、外観は当時の資料をもとに忠実に再現されています。
岡山城は入場料を払うと天守閣へと上がれます。中は鉄筋コンクリート製のビルなので、ちょっと興がそがれるかもしれません。
後楽園
後楽園も岡山ICから、自動車で東へ20分(8km)の所にあります。
岡山城からは、隣接しているので歩いてすぐ行けます。写真の真ん中にぽつんと見えるのが、岡山城です。
始めから両方行くつもりでしたら、共通入場券をお求めになるとちょっとお得になります。
詳しくは岡山後楽園のホームページをご覧ください。
後楽園は、岡山藩主の池田綱正公が、家臣の津田永忠に命じて造園させた庭園です。
1687年に造園が始まり、1700年に一応の完成となりました。
しかし、その後も歴代の藩主の好みで改変が繰り返され、少しずつ今の形へと変化していきます。
ただ大まかな形は江戸時代の姿のまま、現代に伝えられているそうです。
当時の資料もたくさんあり、歴史的な変遷がたどれる地方では珍しい大名庭園です。
水害と第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、当時の絵図に基づいて正確に復元されています。
途中、茶店やお土産屋さんが点々とありますので、のんびりお茶でも飲みながら散策すると楽しいと思います。