前回もご紹介したように、F1ドライバーはチームとの契約金の他に、企業とのスポンサー契約など様々な高額報酬を得ています。
普通に生活するだけなら十分な資金があるのですが、意外にもその他の仕事にまで手を拡げて、様々な副業を持っているF1ドライバーは多いです。
まあ、多額の収入を得ているからこそ税金対策として会社を経営したり、贅沢な暮しを引退後も維持するための資産運用したりといった事情もあるのでしょう。
自動車販売業はF1ドライバーに人気の副業
そんな中でもよく見られるメジャーな事業形態は、車を販売するディーラー業です。
高級車やスポーティな車を買うような車好きの顧客は、当然ながらF1にも高い感心を寄せていることが多く、ディーラー業は自分のネームバリューを最大限にいかした効率の良い事業投資となるからです。
投資事業を副業とするゲルハルト・ベルガー
自分が行う事業だけではなく、巨額の資金を活かして様々な業種に積極的に投資をするF1ドライバーもいます。
1980年代から90年代にかけてF1ドライバーとして、F1の黄金時代を支えた「ゲルハルト・ベルガー」は、現役時代から事業投資を行っており、走る投資家として有名でした。
ドライバー引退後も投資活動を続け、2006年にはレッドブルとの合弁会社を設立、F1チームの「スクーデリア・トロ・ロッソ」の共同オーナーとなっています。同時にレッドブル・レーシングのチームアドバイザーも努めていましたが、2008年には「スクーデリア・トロ・ロッソ」の全株式を売却しています。
航空会社を設立したニキ・ラウダ
元世界チャンピオンのニキ・ラウダは、現役時代に得た巨額の資金を活かして、なんと1978年に航空会社を設立しています。
この航空会社はその後順調に経営を続け、事業としては一応の成功を収めます。しかし、1991年に自社の旅客機が故障により墜落してしまうというアクシデントに見舞われ、これが原因で経営難へと落ち込んでしまいます。その後、なんとか事業を再建しますが、他社に事業を譲渡して一時航空業界から引退する事になります。
ただ、2003年には再び航空会社「ニキ航空」を設立し、航空業界へ返り咲くことになります。
医師免許を持っていたジョナサン・パーマー
1980年代にF1ドライバーとして活躍したジョナサン・パーマーは、F1ドライバーの中でも異彩を放つ経歴の持ち主です。
彼は元々医師免許を持つ普通の医者でしたが、レーサーとして駆け出しの頃は医師として働いた後、週末にサーキットを転戦するという多忙な生活を送っていました。
F1ドライバーへとステップアップしてからは、流石に二足のわらじというわけには行かず、F1に専念することになります。現役時代には「引退後は医師に戻る」と度々言及していたジョナサンでしたが、現在のところF1の解説やサーキット経営など、医師意外のフィールドで活躍を続けています。
このジョナサンの場合は、どちらが副業かちょっと判断に困る部分がありますが、F2時代までは医師のほうが本業といった方がいいかもしれませんね。
マン島の名誉警察官を務めるナイジェル・マンセル
一時、マン島に住居を構えていたナイジェル・マンセルは、マン島で名誉警察官に任命され、時にはスピード違反の取り締まりに協力することもありました。
これはお金のための副業というよりは、慈善活動といったほうが近いかもしれません。ナイジェル・マンセルによれば、この名誉警察官の仕事によって自身の性格が代わり、その後のレースに良い影響があったとという事です。