ヨーロッパで高い人気を誇るラリーですが、実は日本でも自動車産業の発展とともに広がり長い歴史を持っています。
今回は、日本で行なわれているラリーの現状について解説したいと思います。
日本ラリーの始まりから現在まで
日本のラリーの歴史は1958年に行われた「日本一周ラリー」から始まりますが、これは自動車の普及を図るため国と読売新聞が協力して行った、PRイベント色の強いラリーです。ルールは日本全国4000kmのコースを16の区間に分け、いかに決められた時間通り走るかというものです。
その後、日本の本格的なラリーの歴史は1959年の「日本アルペンラリー」から始まります。
第1回目の日本アルペンラリーでは前半に大雨に見舞われ、参加者が互いに協力して車両を手押ししたというエピソードが残っています。
当時は未舗装路が多く、走行距離も500kmから1000kmに及ぶ過酷なレースでした。ちなみに篠塚健次郎選手もこの時代から走ってるラリードライバーの一人です。
1970年代になると「オイルショック」や「排ガス規制」などが重なり、徐々に日本でのラリー熱は衰退していきます。しかし、日本ラリーは消えることなく衰退とブームを10年ごとに繰り返しながら現在に至ります。
一時期のWRCでは日本メーカーの車が大活躍をしていましたが、なぜか日本を舞台にしたWRCは実現しませんでした。理由としては世間のモータースポーツに対する偏見が大きと思います。車が好きな人から見ればラリーカーは迫力があって最高にかっこいいマシンですが、一般の日本人から見れば暴走族の改造車と変わりません。街中や農村をかっ飛びながら走るなんてそう簡単に受け入れられるものではなかったでしょう。
日本ラリーを取り巻く問題
ところが2004年になると長年の日本のラリーファンの悲願が達成され、帯広で初めてのWRCイベントとして「ラリー・ジャパン」が開催されることになります。
このラリージャパンは地元の新聞紙の反対や観客動員などに数々の問題を抱え、2007年を最後に開催地を札幌に譲ることとなります。
その後ラリー・ジャパンの開催地となった札幌は、いい加減なレース運営や素人の考えたようなコース設定など、帯広とはまた違った問題を抱え2010年を最後に中止されています。
ただ、2017年にはトヨタがラリー復活を果たすこともあり、ラリー・ジャパンも同時に復活するのではないかと噂されています。
日本のプロラリードライバー
日本で行なわれているラリーはワークスチームと多額の契約をしてドライバーになるというものはなく、普段何かの仕事をしながらウィークデーにラリードライバーとして参戦するというスタイルが一般的です。
そのため、現在、日本人でWRCトップカテゴリーのレースを走るプロドライバーはいません。