サブプライムローン問題の煽りを受け、F1から撤退を表明していたホンダですが、2015年から再びF1の舞台に復活しています。
2015年中は芳しい結果を残すことができなかったものの、徐々にマシンのコンディションも良くなり、2016年にはコンストラクターズランキングで6位にまで上り詰めています。かつての黄金時代から比べるとまだまだといった感はありますが、2017年は今まで蓄積された膨大なデータと、新型エンジンの投入によりさらなる活躍が期待されています。
このF1におけるホンダの活躍ですが、始めてF1に挑戦したのは1964年にまで遡ることになります。当時のホンダは二輪メーカーとしては超一流の会社であったものの、自動車の開発についてはまだまだこれからといった状態でした。
そんな状況で、世界のトップメーカーがその技術の粋を競うF1に参加するのですから、まともな勝負ができるわけありません。優勝どころか完走することも少なく、5年間出場し続けて僅かに2勝しただけに終わりました。ホンダといえども利益を追求する民間企業です。こんな結果を残すこともできない事業に、巨額の資金を捻出し続けることはできません。仕方なく一時F1から撤退することになります。
F1総合優勝はホンダの悲願
しかしF1での総合優勝は、本田宗一郎が長年夢見ていたホンダの大きな悲願です。F1から撤退した後も地道に自動車開発の技術を積み重ね、ついに15年後の1983年再びF1の舞台に復活することになります。
この時に備えてホンダには、豊富な自動車開発データと巨額の運営資金が蓄えられています。1984年には1勝と振るわなかったものの、翌年には4勝と除々にその実力を発揮していきます。ついに1986年には14戦を戦ったところで9勝を挙げ、スケジュールを2戦残したところで総合優勝を決めてしまいました。
総合優勝を喜ぶ本田宗一郎
当時の新聞に、本田宗一郎氏の談話が記載されています。それによると、
「ホンダが始めてF1に参戦したのは1964年のことだった。当時ホンダは四輪車を開発しておらず、もっと安全な車を開発するには、過酷なレースで腕を磨くのが一番だと思った。自宅で総合優勝の連絡を受けたが、とにかくうれしい。」と語ったそうです。
また、残りのレースに関して尋ねられると、
「勝つだけが目的ではない、お客様に届ける商品が良くなければ何にもならない。残り2戦もとくかく全力を尽くして戦って欲しい。」と述べたそうです。
本田宗一郎氏については、伝説のような話しがいくつも残っていますが、このインタビューも本田宗一郎らしい胸が熱くなるような言葉ですね。
再びかつての黄金時代を
現在ホンダは、F1でかつての黄金時代を取り戻そうと必死に戦っています。辛酸をなめることになった1964年当時はもとより、1983年からの再挑戦でも当初はそれほど好成績を挙げることはできていません。
それもそのはずで、F1には世界中のトップメーカーが最高の技術と人材、資金を湯水のように投入してスピードを競っているのです。参戦当初からすぐに総合優勝なんてそう簡単に出来るわけがありません。今回も、1983年当時のようにここから除々に実力を発揮しながら、またF1ホンダの黄金時代を築いてくれるはずです。