あなたが自分のクルマを運転している時、「恐怖心」は安全運転のための大切な要素となります。
「このままの速度でコーナーに進入すれば、曲がりきれずにコースアウトしてしまう」とか、「次の角から子供が飛び出してくるかもしれないから、ここは徐行でゆっくり進もう」といった具合です。言い換えれば、「安全のために、十分なマージンを取っている」という事でもあります。
これに対してF1レーサーの場合は、「コンマ一秒」でも速く走ることが求められます。つまり「どれだけ安全マージンを削る事ができるのか」といった事が大切になるのです。
「安全マージンを削る」と一言で言ってしまえば簡単ですが、その為には動物として本能的に持っている「恐怖心」を完全にコントロールする必要があります。
例えるなら、「剣の達人が紙一重で相手の太刀筋を読み、最小限の身のこなしで相手の剣をかわす」といったところでしょうか。
恐怖心を完全にコントロールした男
F1レーサーの「恐怖心」を語る上で、興味深いエピソードがあります。それは、往年の名F1ドライバー「ニキ・ラウダ」が、キャリアの途中で経験した大きな事故にまつわるエピソードです。
1976年のドイツ・グランプリ。ニキ・ラウダは連続タイトルのチャンスを掛けてレースに挑んでいました。路面がウェットからドライに変化していく中、高速コースでラウダのマシンはコントロールを失い、コース脇の土手に乗り上げてしまいます。この衝撃でラウダのマシンは炎上、ラウダ自身も身体中の骨折と重度の火傷に加え、肺の中まで炎を吸い込んで火傷を負ってしまうという壮絶な体験をします。
ここまでの体験をすれば、普通の人なら怖くてステアリングを握ることすらできないはずです。ところが、ラウダはまだ全身の火傷が完全に癒えないうちから、火傷の上からヘルメットを被る練習を繰り返し、少しでも速くレースに復帰しようと凄まじい意欲をみせていました。
それからわずか6週間後、ラウダはイタリアGPに出場して、復帰早々4位への入賞を果たしています。さらにラウダはここから凄まじい追い上げをみせ、あと1戦でシーズン終了という段階において、ライバルのジェームス・ハントに3ポイントの差をつけて一位となっていました。
ここまでは、「F1ドライバーが恐怖心を克服して、再び栄冠を掴んだ」という単純なサクセスストーリーにすぎません。
しかし、ラウダが本当にスゴイのは、この後、日本で行われた富士GP最終戦での判断です。
冷静な判断で危険を回避
当日の富士スピードウェイは、激しい雨が降り続き、レースのコンディションとしては最悪の状態でした。ここで、レース関係者とドライバーが集められ、レース最終戦を中止にするか決行するか話し合われます。
この中で、ニキ・ラウダを始めとする一部の関係者は、レースの中止を求めましたが、大勢は決行することに決まります。しかし、ラウダはこの判断にどうしても納得がいかず、結局自分の意思でリタイヤを決断します。結果的にレースは、ライバルのハントが3位でゴールしてポイントを稼ぎ、シーズンチャンピオンの座を射止めています。
このラウダの判断は、一見「恐怖心」に負けて、シーズンチャンピオンを棒に振ったようにも見えます。しかし、あの大事故からの経緯をみれば、ラウダに無用な恐怖心があるとは思えません。つまり、彼なりの緻密な計算から、「このレースは危険が大きすぎる」と冷静に分析して判断を下した、という事です。
何も「恐怖心」を制するという事は、「闇雲に危険に向かって突っ込んでいく」というだけの無鉄砲な行為の事ではありません。このラウダように、「危険が大きすぎる」と判断すれば、どんな大きなチャンスがあっても、冷徹に自分を制する強い意思の力も必要なのです。