F1に出場した女性ドライバーたち【F1】

女性ドライバー

「F1レーサー」とか「F1ドライバー」なんて言葉を聞くと、「汗と油にまみれた男の世界」って感じが強くて、女性がバリバリと活躍しているイメージはありません。

もちろん、レースクイーンとかスタッフ、プレス関係といった分野にはたくさんの女性が進出してますが、実際にF1マシンを操縦する「F1ドライバー」はほとんどが男性ばかりです。

といっても「女性がF1に参加してはならない」なんて大相撲のように厳格なルールはありません。女性でもレースを勝ち上がっていくだけの十分な実力さえあれば、今すぐにでもF1GPに参戦出来るんです。

現に、長いF1GPの歴史を紐解けば、何人かの女性F1ドライバーが活躍していた時期があります。ということで、今回はそんな女性F1ドライバーたちについて、解説していこうと思います。

スポンサーリンク

世界初の女性F1ドライバー、マリア・テレーザ・デ・フィリップス

F1GPで活躍した女性。まず最初に紹介するのは、1958年「マセラッティ250F」でF1GPに出場した、世界初の女性F1ドライバー「マリア・テレーザ・デ・フィリップス」です。

彼女は初戦となるモナコGPに出場するものの、この時は惜しくも予選敗退となってます。その後のベルギーGPでは、初戦の悔しさをバネに奮戦。見事、10位完走の好成績を収めました。続けてポルトガルGPとイタリアGPにも参戦しますが、残念ながらどちらもリタイアという結果に終わってます。

さらに年が明けて翌1959年。再びモナコGPに参戦するものの、前年と同じ予選敗退という結果に終わりました。その後、彼女がF1GPの舞台に返り咲くことは無く、そのまま静かに引退となってるんです。

彼女の記録は殆どが予選敗退とリタイアですが、一応10位完走という記録も残しているんで、「女性ドライバーであってもF1GPの世界で十分やっていける」という証明にはなったと思います。

スポンサーリンク

初めてドライバーズ・ポイントを獲得した女性F1レーサー、レラ・ロンバルディ

二人目に紹介する女性F1ドライバーは、レラ・ロンバルディ。彼女は1974年のイギリスGPに初参戦するものの、予選通過は出来てません。この年は他のF1GPに参戦することもなく、そのままシーズンを終えています。

このまま地味〜な成績で終わるのかと思いきや、年が明けて翌1975年。彼女の快進撃が始まります。南アフリカGPに参戦すると見事に予選を勝ち抜き、本戦へと駒を進めたんです。続くスペインGPでも予選を突破、本戦へと進み「女性F1ドライバーによる初のドライバーズポイント獲得」と「6位入賞」という偉業を立て続けに成し遂げます。

ただし、この時のレースは、中盤で大クラッシュが起きたせいで途中で早期終了となりました。ということで獲得ポイントも通常の半分、「0.5ポイント」しかありません。といっても、この成績は現在のところ女性F1ドライバーによる最高位の記録なんです。

スポンサーリンク

元オリンピック選手の女性F1ドライバー、ディヴィナ・ガリカ

3人目の女性F1ドライバーは、ディヴィナ・ガリカ。1976年にイギリスGPに参戦するも、この時の成績は残念ながら予選敗退という結果に終わっています。

1年のブランクを開けた1978年。今度はアルゼンチンGPとブラジルGPの2戦に出場。この時も本戦へと駒を進めることはできず、そのままF1GPがらも引退しています。

実はこのディヴィナ・ガリカ、3度も冬季オリンピックに出場するほどの優れたアルペンスキー選手です。このような優れた身体能力と才能に恵まれたアスリートでさえ、F1GPの決勝へと勝ち進む事は簡単ではありません。それだけ「F1レースは過酷」という事が言えますが、この女性が子供の時からスキーでは無くカートに親しんでいればまた違った展開もあったかもしれませんね。

資産家令嬢のジョバンナ・アマティ

最後に紹介する女性F1ドライバーは、1992年に参戦していたジョバンナ・アマティ。

この年、ブラハムと契約する予定であった中谷明彦は、FIAのスーパーライセンス発給要件を満たしていなかったため、F1への参戦が白紙になるというトラブルに見舞われます。この空いたドライバーズシートを運良く射止めたのがジョバンナ・アマティです。

その後、彼女は「南アフリカGP」「メキシコGP」「ブラジルGP」の3戦に出場しますが、すべてのレースで予選敗退。ブラハムと約束していた資金の支払いも行われなかったため、そのまま契約を解除されています。

ドライバーがチームへ資金を支払うと聞くとちょっと不思議な気がしますね。ただ、F1GPへの参加には膨大な費用が掛かるため、一部のドライバーはチームに資金を提供することでドライバーズシートを獲得するケースがあるのです。

ジョバンナ・アマティは資産家の令嬢でしたので、この資金を提供する見返りにドライバーズシートが約束されていたのでしょう。

未来の女性F1ドライーバー「野田樹潤(じゅじゅ)」

現在のところ、残念ながら日本人女性でF1GPに参戦したドライバーはいません。しかし、将来ひょっとしたらと期待させる才能あふれる子供レーサーが岡山県にいます。

その女の子は現在中学1年生(2018年現在)の「野田樹潤(じゅじゅ)」ちゃん。岡山県美作市「岡山国際サーキット」に設立された「NODAレーシングアカデミー」で、元F1レーサーの父、野田秀樹さんとともに二人三脚でトレーニングに励んでいます。

樹潤ちゃんはレーサーであるお父さんの姿に憧れ、3歳から子供用カートを開始。大人が参戦するレースにも出場して、何度か表彰台に登るほどの腕前です。

ABOUTこの記事をかいた人

クルマ好きの40代男性。現在病気のため療養中です。

ブログは暇つぶし&リハビリ。週2で短時間のアルバイトをしていますが、普通の人のように毎日フルタイムで働くことはできません。

ブログの内容はあくまで秋ろーの個人的見解です。実際に車や商品、サービスを購入する際は、自分で試乗や調査をして確かめることをオススメします。

記事更新の時間は、大体、午後11時から12時頃にかけてを予定しています。

修正ばっかりしてると新記事の投稿ができないんで、新記事3に対して修正1くらいの割合でやってます(2019年6月〜)