1990年台、インドネシア実業家マルヴィ・アバンティ氏は、日本車をベースにしたカスタマイズカーでビジネスを成功させ、一躍時の人となっていました。
マルヴィ氏は、アメリカのキットカー製作工房で働いていた経験を元に、自分の得意分野であるプラスチック加工技術を加え、カスタマイズカー製作のノウハウを独自開発しています。
カスタマイズカーの種類は全部で10種、年間600台を売り上げる規模の店舗と工場を抱えています。
※画像はイメージです。
個性的で楽しいクルマばかり
このマルヴィ氏のカスタマイズカーは、当時高い人気を集めどれも個性的で楽しい車ばかりでした。
例えば、20年代のアメリカを彷彿とさせるクラシックセダン。プラスチック製とは思えない美しい仕上がりをみせますが、ボディにはフォードやシボレーのエンブレムはなく、大きく「SUZUKI」のロゴが輝きます。ベース車両としてスズキ・ジムニーが使われているからです。
せっかくここまで完璧に仕上げているのに、なんで「SUZUKI」のロゴを残しているのかと不思議になりますが、インドネシアでは日本と違い「SUZUKI」も高級ブランドの一つとして認識されているのです。
その横には妙に幅の広いステーションワゴンが置いてあります。中を覗くと驚くべきことにシートが横に5つ並べられ、前後で10人が座れる設計となっています。
奥にあるクラシックオープンカーは、レトロな趣のある美しいスタイリングが与えられていますが、ベース車両は同じくスズキ・ジムニーという事です。
なぜこんなに「スズキ・ジムニー」ばかりが使われているのかと不思議になりますね。しかしそれには大きな理由があります。
ジムニーばかりがなぜカスタマイズされる?
当時のインドネシアでは、日本から普通車を輸入すれば大きな関税が掛けられていました。しかし、商売や運送業務に使う商用車やトラックの場合は別で、「関税を掛けすぎると国内の景気に悪い影響を与える」という理由から関税が安く抑えられていたのです。
そのため、このカスタム工場でもコストを安く抑えることのできる、商用車やトラックが頻繁に使われていたというわけです。
安いと行っても輸入してさらにカスタマイズを施すわけですから、当時のインドネシア庶民にとっては随分と高額な160万から240万という価格です。
そのため自家用車として買う人はほとんどおらず、もっぱらホテルやアミューズメント施設の送迎用として販売されていたそうです。
現在のインドネシアでは庶民にもコンパクトカーが普及しつつある
現在のインドネシアでは長年の産業振興政策が実を結び、庶民の足もスクーターやバイクから徐々にコンパクトカーへと移行しつつあります。
加えて、インドネシア政府の推し進める「LCGC(Low Cost Green Car)政策」により、燃費の優れた日本車は税制上の優遇が受けられます。
インドネシアで販売される「スズキ・ワゴンR」は日本仕様の660ccエンジンから、1.0L直列3気筒のパワフルなエンジンに拡大され、最高出力68馬力6200rpmに加えて最大トルク90Nm/3500rpmを発揮します。
庶民にとって高値の華であった「SUZUKI」ブランドが、除々に庶民の手の届く存在となりつつあるのです。しかも当時輸入されていた軽自動車とは違い、主流はパワフルなコンパクトカーへとグレードアップしています。
2015年にはインドネシアのジャカルタに工場も新設され、年25万台の生産能力が与えられています。この工場で作られたスズキ車は、インドネシア国内の需要を満たすためだけではなく、周辺国への輸出用としても生産されています。
20年前、マルヴィ氏がコツコツと手作りしていたカスタマイズカー工場から比べると、随分と大きく成長したものです。