イタリアのシチリア島で行われる自動車レース「タルガ・フローリオ」は、第1次世界大戦の影響を受けて一時開催が中止されていました。
その後、大戦後に再開された第10回のレースは、フランスのプジョーが初参戦する事になった記念すべき大会です。
この参加チームの中には、一代で自動車メーカーを興した技術者エルネスト・バローの「バロー社」も参戦していました。
天候の変わりやすい山岳路がコースに含まれる
この大会では、コースの途中に108キロの山岳コースが設定されています。スタート直後は好天に恵まれ、順調にレースも進行していましたが、この山岳コースに入ると突如天気が崩れだし、雪によって路面が非常に滑りやすい状態となっていました。
この時、先頭を走っていたのは、新型のフィアットを駆る「アントニオ・アスカーリ」です。アスカーリのドライビングスタイルは、細かいことを気にしないアグレッシブな大胆さが身上です。この時も、雪によって滑りやすくなった路面を物ともせず、果敢に山岳コースのコーナーにアプローチしていました。
今と違ってこの当時の車にトラクションコントロールやABSのような安全装置はありませんから、一度コントロールを誤ればすぐにマシンの挙動は乱れます。
そのため、オーバースピードでコーナーに突っ込んだアントニオは、そのままマシンのコントロールを失い崖底へと転落してしまったのです。
なんとか死闘を制したプジョーのアンドレ
このトラブルによって大きくトップに躍り出たのは、プジョーに乗る「アンドレ・ボアロ」と、バローの「ルネ・トーマ」です。
滑りやすい危険なコースで死闘を繰り広げる2台でしたが、やがてバローのルネはクラッシュを起こしてリタイヤとなります。
独走状態となったプジョーのアンドレですが、その後もスリッピーで危険なコースは延々と続きます。神経と体力を最大限に使いながらやっとの想いでゴールまでたどり着きますが、ゴールが目前に迫ったところで緊張の糸が切れ、マシンはコントロールを失ってセーフティウォールにぶつかってしまいます。
死闘を演じたライバルに送る騎士道精神
驚いた観客が駆け寄り、アンドレの体を起こします。意識を取り戻したアンドレは、なんとか気力を振り絞ってバックをしながらゴール地点を通過しました。
この様子を見ていたある男が、アンドレに駆け寄り「今までバックをしながらゴールした例はない、念のため、クラッシュしたところから前進してゴールし直したほうがいい」とアドバイスを送ります。
このアドバイスに「もっともだ」と納得したアンドレアは、クラッシュした地点からもう一度ゴールし直し、その場で再び気を失ってしまったそうです。
ただし、この的確なアドバイスのおかげで、プジョーのアンドレは、正式にこのレースの勝者として認められる事になります。
実は、この冷静で的確なアドバイスをした男こそ、プジョーと最後まで死闘を演じたバロー社のトップ、エルネスト・バローその人だったのです。