自動車好きで知られるあのブルネイ国王も所有していた名車「ゴール・ドラベル」は、イギリス職人の手により丹精込めて仕上げられた美しい2シーター・オープンスポーツです。
なんとこの車、大量生産されることなく僅か限定二台だけが製造されたという貴重な車です。製造した会社は、1980年代当時ロールスロイスなど超高級リムジンのコーチビルドでその名を轟かせていた「ロバート・ジャンケル」です。価格も超高級車の名にふさわしく8500万という高額なものです。
エンジンにはロールスロイス用の高価なパワーユニットが使われ、ボディは職人の手による一品もののハンドメイドで仕上げられています。製造するための期間も膨大で、1年半以上の時間が掛けられていました。
製造はコーチビルドの雄、「ロバート・ジャンケル」社
この「ゴールド・ラベル」を製造した「ロバート・ジャンケル」社は、創業者「ロバート・ジャンケル」の名をそのまま社名としています。
創業者ロバート・ジャンケル氏は、自動車会社創業者としてはちょっと異色の経歴を持つユニークな人物です。
生まれはイギリスのロンドン市内、家族は服飾会社を営む裕福な環境に恵まれていました。
学校では機械工学を学びますが、その後自動車のデザインに興味を持つようになり、1955年に自動車コーチビルドの会社を設立します。
ただ、素人のジャンケルがコーチビルドだけで食べていくことは難しく、しばらくは家業の服飾デザイナーを兼業しながらの活動となります。
あの「パンサー」社を設立
自動車についてある程度経験を積んだジャンケルは家庭の資金援助もあり、1972年に「パンサー」社という自動車製造会社を設立します。
このパンサー社、当時デザインの美しさが評判となり、あれよあれよという間に会社の規模を拡大することになります。ただ、ジャンケルは自動車に詳しいといっても経営については素人同然です。急激に会社が大きくなりすぎたこともあって、1979年には韓国の実業家に会社を売り渡すことになります。
その後は、元々コーチビルダーとして活動していた「ロバート・ジャンケル」社にのみ専念することになり、ロールス・ロイスのコーチビルドならこの人といわれる立場まで上りつめることになります。
しかしながらこの成功も長く続くことなありませんでした。世界的な経済縮小ととも超高級車がボンボン売れる時代は終焉していきます。
次にジャンケルが目を付けたのが、高級車に防弾装備を施した「装甲車」です。
始めはお金持ちだけに売れていたのですが、その後各国の政府要人にも知れ渡るようになりこの分野でも大きな成功を手にするのです。
このように「ロバート・ジャンケル」氏は、ある事業が上手く行かなくなると、微妙に進路変更を試み見事成功を収めるといった経験を繰り返しています。一度失敗しただけで、二度と立ち上がることのできない人が多い中、ある意味天才的な才能を持っていたのだということが分かります。
日本にも輸入されていた「ゴールド・ラベル」
実はこの「ゴールド・ラベル」、二台の内の一台がバブル絶頂期を迎えつつあった1988年当時の日本に輸入されています。
輸入をした外車販売業者では、ブルネイ国王の名にふさわしい由緒正しいお方に購入していただきたかったそうです。ところが残念なことに、実際にこの車の商談に訪れる人たちは、当時バブルによって大金を手にしていた不動産業者やビルのオーナーのような成金達ばかりだったそうです。
確かにこの「ゴールド・ラベル」、北欧のお城が似合う美しいスタイリングをしています。日本ならさしずめ京都のお公家さんの末裔あたりがピッタリかもしれませんね。