1989年、ベルリンの壁崩壊当時、東ドイツの人々が国境を超える為に乗っていたのが、「トラビ」と呼ばれる東ドイツ製の車です。
この車は、600ccの29馬力2サイクルエンジンを搭載し、紙と樹脂を合成したボディを持つ簡素なつくりの大衆車です。ボディの素材があまりにも低品質なため「ダンボール製の車」と揶揄されるほどでした。
それでも、当時、東ドイツでは庶民が買える車はこの「トラビ」しかありません。しかも、東ドイツでは生産設備が満足に揃っていなかったため、常に膨大なバックオーダーを抱えていたといいます。また、新車が無理な人は中古車を買うしかありませんが、この中古車も新車と同じ価格か、場合によってはそれ以上の価格となることもあったようです。
そんな思いをしてやっと手に入れた愛車ですから、当時の東ドイツの人々にとってトラビは家族と同じくらい大切な存在でした。
しかし、当時トラビはすでに30年以上に渡って量産され続けていたモデルであったため、西側の人々からはひどくクラシックでチープな車に見えました。
目先の効く日本の業者が買い付ける
ただ、どんな時代にも物好きな人はいるもので、この車の小さくクラシックな佇まいを持つ「トラビ」に、「かわいい!」とか「おしゃれ!」といった感想が少なからず聞かれたのも事実です。
ある日本の輸入代理店は、こんな消費者の意見に目ざとく反応し、ドイツで10台のトラビを買い付けています。
日本の新しもの好きや、人と違ったものが欲しいというおしゃれな人達に、一定数の売上が期待できると見こんだためです。
しかし、このトラビは30年以上前に東ドイツで設計された古い車です。当時の日本の環境基準に適合することができず、公道を走るための許可が取れませんでした。
フォルクスワーゲンの傘下に
同じ頃、トラビを生産していた東ドイツの会社「VEBザクセンリンク」は、東ドイツの崩壊とともにフォルクスワーゲンの傘下に入ります。
設計の古さや環境性能の低さから、1992年には生産中止することが発表されましたが、当面は東ドイツの人々の生活を支えるため、継続して生産されることになりました。
現在のベルリンを走る事は出来ない
それから25年以上が過ぎ、今では街でトラビを見ることも少なくなっています。現在、ベルリン市街地では環境基準を満たさない古い車は走ることを許されないからです。
ただし、歴史文化財として特別な許可を受けた車は別です。この特別な許可を受けた車にはフォルクスワーゲン・ビートルに次いで、あの「トラビ」も3万台ほどが登録されています。
このトラビを使った観光ツアーも企画され、「トラビ・サファリ」として観光客に人気を集めています。