1907年に行われた超ロングランレース【モータースポーツ】


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2ヶ月の間走り続ける過酷なレース

1907年に行われたある自動車耐久レースは、かつて誰も経験した事が無い途方もない超ロングランレースでした。

このレースの内容は、スタート地点の北京からユーラシア大陸をただひたすらに西へと走り続け、フランスのパリを目指すとする規格外のとんでもないレースです。

6月10日にスタートした後、まるまる2ヶ月間を掛けて戦われ、結果的にイタリアのイターラを操るボルゲーゼ伯爵が1位でゴールしています。

その総距離14994kmにおよぶこのレースには、僅か5台の自動車が参加するのみでしたが、結果的に1台がリタイヤしただけでその他の4台は無事にゴールにたどり着くことが出来ています。

未舗装路が多い当時の道路事情や耐久性の低い自動車の性能を考えると、これは驚異的な成果だといえます。

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さらに過酷な半年間走り続けるレース

この「北京~パリ耐久レース」で驚いていてはいけません。この翌年、1908年にはアメリカをスタート地点とする「ニューヨーク~パリ耐久レース」が行われています。

前年の耐久レースでは総延長距離14994kmとなりましたが、今回のレースではそれよりもさらに長い距離となる21000kmを戦う事になります。

ニューヨークをスタートしたレースは、アメリカ大陸を横断してサンフランシスコを目指します。さらに海を渡ってシアトル、ウラジオストック、イルクーツクを経て、モスクワ、ベルリン、パリへと到達するとんでもないスケールのレースでした。

この行程を分かりやすく言えば、アメリカ大陸を車で東から西へと横断した後は、船で太平洋を渡り、再びユーラシア大陸を車で東から西へと横断することになります。

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行程の途中に日本にも立ち寄っていた

実はこのレース、ユーラシア大陸を横断する前に一時日本の横浜に立ち寄っています。その間、横浜から駿河へとぬける480kmのミニ耐久レースがスケジュールに組み込まれ、このレースは日本で初めて行われた自動車レースとして日本の自動車史にその名を残すことになります。

参加台数は前回よりも一台多い6台。最終的にはアメリカのトーマス・フライヤーがその栄冠をものにしています。全行程を170日の時間をかけて走り続けるというとてつもなくハードな耐久レースとなりました。

このレースには、前回参加したフランスのド・ディオン・ブートンも再び参加しています。どうちらのレースでも優勝は飾れまぜんでしたが、こんな過酷なレースに続けて二度も参加するなんて、自動車レースに対する情熱だけはド・ディオン伯爵の右に出るものは誰もいませんね。

最初にゴールしたドイツのハンス・コーペンには15日のペナルティが課される

最初にパリにゴールしたのは、7月26日に到着したドイツのプロトスを運転する陸軍中将ハンス・コーペンでしたが、彼はアメリカ大陸を横断する際、一部区間を列車を使って車を陸送しているため、15日間のペナルティが課されることになります。その結果、7月10日にパリに到着したアメリカのトーマス・フライヤーを運転するジョージ・シャスターがこの耐久レースの勝者となります。このレースはあまりに過酷であったため、その後「偉大なレース」として後世に語り継がれることになります。

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ABOUTこの記事をかいた人

akiroo

クルマ好きの40代男性。現在病気のため療養中です。

ブログは暇つぶし&リハビリ。週2で短時間のアルバイトをしていますが、普通の人のように毎日フルタイムで働くことはできません。

ブログの内容はあくまで秋ろーの個人的見解です。実際に車や商品、サービスを購入する際は、自分で試乗や調査をして確かめることをオススメします。

記事更新の時間は、大体、午後11時から12時にかけてを予定しています。

寒い部屋で冷たい椅子に座って一年中キーボードを叩いているのが原因で「切れ痔」に!辛いです。(2018年6月)

現在、古い「試乗関連」の過去記事を全面書き換え中。その分、新しい記事の投稿が少なくなります(2018年4月〜)